「泥中の蓮」

先週の途中から、早朝に家を出ると空気を涼しく感じるようになりました。
少しずつ”立秋”に向かって自然界は変化しつつあるんだなぁと感じます。
ずっと雨が降らずに心配していましたが、
今週は大気の状態が不安定で、雨がザァーっと強く降ります。
まるでスコールのよう!
湿気が多く蒸し暑さで、少し動くと汗が出てきます。
いつもと同じように歩くと汗のかき方が酷いので、
朝の爽やかな風を感じながら、
ゆっくり歩くようにすると幾分汗のかき方が軽減する気がします。

京都 勸修寺の蓮池

もう10数年も前になりますが、ある日乗った飛行機で読んだ雑誌に、
京都の青蓮院門跡にある青い蓮の襖絵が紹介されていました。
壁画絵師であるキーヤンこと木村英輝氏によって、
伝統的な画材にこだわらず現代の画材を用いて、
極彩色で大胆な色遣いと構図で60面に描かれたものです。
この襖絵をこの目で見てみたい!と思ったのが
私の京都への興味の始まりで、娘と二人京都を巡る旅に出かけました。
その後、娘は京都の大学に通うことになり、
数か月ごとに様子見がてらに訪ねるようになりました。
京都は気になる街でしたから、
通ううちにすっかり京都びいきになっていきました。
京都ならではの京野菜の美味しさ、抹茶や京番茶、お出汁、おばんざい、
とろみをつけたおうどん、綺麗で品のある和菓子の数々・・・
食べ物だけではなく、
四季折々の京都の街の趣のある美しさと無数にある神社仏閣、
昔から脈々と続く伝統を守りながらの祭りや暮らしに、
とても惹かれていきました。

蓮の花は、それまで私の身近にはなかった植物でした。
門前や境内の池に植えられていたり、鉢植えであったりで
夏の時期になるとほとんどのお寺で見かけられ、
初めて実際に”蓮の花”を見たその瞬間に、心を奪われてしまいました。
夏になると美しい蓮の花を求めて、京都だけでなく奈良にまで足を運び
お寺巡りをしては、カメラで写真を撮るようになりました。

奈良 唐招提寺の蓮の花/
花の中央にある黄色の円錐状のものが
実(花托)で花と実が同時期なのが
蓮の特徴です。

蓮は、地下にどんどん根を広げていく植物で、
食用であれば、その根はレンコンになります。
春になると泥の中から少しずつ葉を出し徐々に大きくなっていきます。
葉っぱは直径20~50㎝の大きな円形で、水を弾きます。
蓮酒と言って、葉っぱに日本酒を注いで、
茎から飲むという風流な飲み方もあります。
夏ごろになるとその草丈は、1m以上に生長していきます。
7,8月になると葉っぱよりも少し高い位置に、
スーッと蕾をつけた茎が伸びていき
一輪の白やピンク色の大きな花を咲かせます。
花にしても葉にしても実である花托にしても
その造形をじっくりと見れば見るほど
その美しさを強く感じるようになりました。
カメラで被写体を覗くと、今までは見えていなかった細部までもが
よりよく見えるようになり、改めてその魅力を感じるようになりました。
早朝に花を開き、昼には花を閉じ4日経つと散っていきます。
蓮は、花と同時に実(花托)をつけるので、「華果同時」とも言われます。
約2000年前の弥生時代の遺跡から発掘された3粒の蓮の種に、
発芽処理をしたら発芽し、
それが全国に広がったと言われる「大賀蓮」の話を聞かれたことがあるでしょう。
生命エネルギーが強い植物だと思います。

まだ硬い蕾とシオカラトンボ

蓮の花は仏教と関りが深く、「悟り」や「清浄さ」、「神聖」の象徴とされ、
死後の世界である極楽浄土では、
人は蓮の花に生まれ変わるとされています。
またお経の「法華経」の正式名称である「妙法蓮華経」には、
蓮の花を表す”蓮華”の名があります。
仏教理念を表した言葉である『泥中の蓮』は、
お経のひとつである「維摩経(ゆいまきょう)」にある
「身は泥中の蓮華」に由来していると言われます。

”泥の中でも清らかな花を咲かせている”

蓮の花の姿から、
「どんなに困難な環境(泥)や世俗の煩悩(泥水)の中に身を置いても、
決してそれに染まらず、
清らかで美しい心や悟りの境地を保ち、
成長できる。」
とする仏教の教えだそうです。
ここで言う”泥”は、人生における苦難や困難のことを指し、
「泥がなければ蓮は咲かない」とも考えられます。
苦しかったり、た易くいかない経験をすることは、
人の精神的、内面的な大きな成長や変容へと繋がっていきます。
逆境を乗り越え、そこからより強く、より輝いたり美しくなる
という人の柔軟な回復力や適応する能力であるレジリエンスを
培っていくようです。

その当時、こんなことを考えて
蓮の花の写真を撮ったり、眺めていた訳ではありませんが、
このような精神性を自分の内面に
どこか感じていたのかもしれないですし、
スーッと天に突き上げるように花の茎を伸ばし、
大きく花弁を広げる
蓮の花のエネルギーに癒されていたのかもしれないなぁと
このブログを書きながら改めて思いました。

花茎がほとんど水の上に出ていない花もありました。
京都や奈良で撮ったままになっていた写真たちです。