二十四節気「小満」を過ぎ、自然界がお日様の光を浴びて命輝く季節になってきました。
稲作をする日本ではこの時期、農家の方が田植えの準備に追われます。
田んぼに水が張られ、もうすぐ田植えが始まります。
この時期列車に乗って田園地帯を通過する時、
車窓から見える田んぼに張った水が鏡のようになって、
山々の美しい緑や青空を映し出すことがあります。
田んぼの水が鏡のようになるのは、
田植えされて稲の苗がまだ小さい時期のほんのわずかな期間ですが、
日本ならではの美しい風景だと思います。
昼間もですが夜にもその美しさを堪能できます。
「田毎の月」という言葉をご存じでしょうか?
昼間の山々や空が、夜は月🌖に変わり、
月を映し出した田んぼが隣の田圃へと次々と移り行くさまを表す言葉だそうです。
わずかな時期にしか見られないその自然の美しさを楽しむ心豊かさを感じます。

花言葉「旅人の喜び」
ヨーロッパでは宿の入口に植えられ、旅人を迎える花として親しまれて
きたそうです。日本でも入口に植えられていることが多いと感じます。
細いツルに大きな花が咲く、とても種類が多く目を楽しませてくれます。
5年前の5月とある日、
私にとって忘れることのできない出来事が起こった日です。
この日以降の私の人生を大きく変える出来事が起こりました。
以前にもこのブログに書いたことがありますが、
全治3ケ月の骨折をした日です。
5年前といえば丁度コロナ禍で、
世の中にはいろいろな不安が渦を巻いていました。
朝私はいつものように、職場への近道にあるお寺の境内を抜ける途中に手を合わせ
一日の仕事の安全を祈り、
今日起きることをすべて受け入れていきますと言い、
お寺を後に職場へと向かいました。
このわずか数分後に私は、骨折をしてしまうのです。
鈍いけど不気味な音が3回して、私はその場に倒れこんでしまいました。
右足の足首辺りに激痛が走りました。
出勤時間が迫っていたので、
「早く職場に行かないと!」としか考えられず、
何とか立ち上がり、足を引きずりながら歩いていました。
職場の後輩が自転車で幸運にも通りかかり、荷物をもってくれて一緒に歩いてくれました。
何とか職場に着いたものの仕事ができる状態ではなく、
夫に迎えに来てもらい、その足で整形外科を受診しました。
レントゲン写真を撮ると、
足首から近いよく動く骨の関節部分近くが完全に骨折していました。
ドクターは、自力で治癒することは難しいから、
全身麻酔でプレートを入れて繋ぐ手術をすることを勧めました。
以前私は、卵巣の切除手術をした際に、
麻酔でトラウマになる経験をしていたために、
今回全身麻酔でプレートを入れる手術とその後プレートを取り出す手術を
2回する自信がありませんでした。
おまけにコロナ禍に入院することに、抵抗がありました。
それで私は、自力での治癒に賭けることにしました。
必ず繋がる!という根拠のない自信がありました。
結果手術をすることなく、自然治癒力で骨は繋がったのですが、
大きな代償が残りました。
一つは、ギブスによる固定が3ヶ月になることで、
私の足は固まって自分の意志で動かすことができなくなり、
皮膚の感覚もほぼなくなっていました。
もう一つは、高齢者のような酷い骨粗しょう症になり、
転ぶと大きな骨折に繋がるリスクを抱えることになりました。
ギブスが取れるとすぐに職場復帰せざるを得ず、
リハビリもほとんどできない状態でした。
通勤は、松葉杖をつき歩くので2倍の時間がかかり
往復で4時間になりました。
通勤だけでグッタリ疲れ、足を庇いながら動くため
体のあちこちに痛みが出るようになりました。
あの日毎朝伺っていたお寺で、
今日起きることを全て受け入れますと手を合わせ、
その数分後には動けなくなっていました。
仏さまの前でそう言ったからには、
受け入れらざるを得ません。
ある意味、前以て決意表明していたわけです。
私はこの時点までで、子どもの頃は一度もないのに、
社会に出てから骨折は4回、手術は大小合わせて5回もあるのです!
多すぎますよね・・・💦
ケガや病気は、苦難です。
その苦難の中で、人は何かを感じ学び、
その経験を人生の中に活かして人間としての器を大きくし成長していきます。
私はそれを単なる事象としてしか受け取れず、
如何にしてその苦難をやり過ごし、
普通の生活を取り戻すかしか頭にありませんでした。
もちろん、危険に対する注意力は培われたでしょうが、
深く考えたり自分の内面と向き合うこともなかったので、
ほぼ学びや成長はなかったのです。
何度もチャンスが来ていました。
骨折と手術合わせて9回ですから・・・
しかし、全く気付く気配のない私には
ちょっとしたケガや病気では分からないので、
もっと大きな出来事(=試練)が必要だったのだと思います。
今こう改めて文章にしていると、恥ずかしいばかりです💦
私のようになかなか気づけない人は、
だんだんとその出来事(=試練)が大きくなっていくと聞きました。
まさにその通りで、動けなくなって自由を奪われる状況になりました。
『人生において起こる出来事に
偶然性はなく、必然的に起こっている』
その頃職場でのスキル向上を目指して、心理学を学んでいました。
学びの中で、理由は分からないのだけれど
心の中に引っかかっている言葉がいくつかありました。
頭では理解できますが、
実感がないというか、体に染み込んでいかなかった言葉が、
ジワジワと体感と共に感じられたのです。
この言葉もそうでした。
激痛と動けない不自由さに向き合いながら、
一日中ベッドの上で横になるだけの毎日の中で、
『今の私には、もう何にも残っていない』
と思いました。
絶望的な状況ではあったのですが、
1日が48時間欲しいと思っていた時間のない私に、
複数私を縛り付けていた
社会の常識・ルール・枠・自分の価値観や思い込みが無効になって、
やっと解放され自分と存分に向き合う時間が訪れました。
改めて向かい合うと、
自分で自分のことが何にも分かっていないことが分かりました。
自分が何が好きか、何が嫌いか、何がやりたいか、
近い未来にどうなっていたいか・・・
表向きの建前はもちろんありましたが、
向き合って自分と対話を重ねていくと
自分の本音の部分、内面の私が思うこととは全く違っていました。
心理学を学び心の構造を知ると共に、
コーチングやカウンセリングを学び、実践する中で
少しずつ自分を知る長い旅が始まりました。
武装するかのように鎧のようなものを何重にも何重にもまとい
私を形作り守っていたものを
少しずつ少しずつ外していきました。
まとっていた鎧が、
私を守ってくれていたものだと認識するのにも時間が必要でした。
こうして長いようで短い3ケ月は、過ぎていきました。
休職している間に、先延ばしにしていた退職をその年度末にしようとを決めていました。
起こった出来事をどのように受けとめて、どのように行動するのか?
チャンスはよい顔をしてはやってこないことがあります。
気づくことがなければ、形を変え大きさを変えて何度もやって来ます。
”起こることには意味がある”
という捉え方ができるようになって、
深く納得できるようになったように思います。
あの日のことは、最悪の出来事ではありましたが、
ありがたい感謝する記念日となりました。
そしてお陰様で新たに歩み始めた私には、
ささやかな幸せを感じる毎日があります。

紫陽花といえば、丸くこんもりとした花のイメージですが、
葉っぱが、柏餅に使われる柏の葉に似ていて、
円錐状に花が咲いていきます。

