今年は、観測史上初の速さで6月末には梅雨明けしてしまいました。
同時に酷い暑さが、毎日続いています
この時期からの厳しい暑さですので、
長いこの夏を健康に過ごし乗り切っていきたいものですね。
冷房なしで過ごしたいところですが、
そんなことは言っていられない暑さです。
熱中症になりかねない暑さですから、冷房も上手く使っていきたいですね。
夏は暑さのため、頭に熱が昇ります。
”頭寒足熱”がポイントで、冷房で足首を冷やさないようにしたいですね。
お風呂に入った後のヒンヤリとした顔パックや
ドライヤーの後に冷風を髪に当てるのは意外にクールダウンにつながると思っています。

紫陽花の中でも人気の品種
小さ花をたくさんつけるので、花首をかしげるくらい
とても花が大きく華やかです。
スペインのバルセロナに建築途中のサグラダファミリア教会があります。
最近何故かこのサグラダファミリア教会に関して、
またかというくらい色々な情報が流れてくるので、
何か気づくといいことがあるでは?と思い、調べてみることにしました。
この教会の正式名称は、「聖家族贖罪教会」。
その名の通りこの教会は、
イエス・キリスト(子)、聖母マリア(母)、聖ヨセフ(父)の家族を象徴している教会で、
「アントニ・ガウディの未完の傑作」と言われています。
1883年ガウディは、この教会の2代目に建築を任された建築家でした。
彼は、自然の美しさと神秘を取り入れた独自の建築理念を追求し、
ネオゴシックに留まらない全く新しいアプローチで教会を設計することを目指しました。
そのガウディは、1926年電車に接触した事故で亡くなってしまいます。
更に運の悪いことに、その後スペイン内戦の勃発により、
ガウディが残した多くの資料を失い、彼が創り上げたものも破壊されてしまいます。
その様な状況を経て、ガウディの遺志を継ぐ残された建築家や職人たちが、
今なお作り続けています。
この建築の現場に、一人の福岡市出身の彫刻家がいます。
彼は、学校の美術の先生でした。25歳の時単身バルセロナに渡り、
それから45年間この教会と向き合い、現在は芸術工房監督をされている
外尾悦郎氏です。
先日外尾悦郎氏を女優の芦田愛菜さんがインタビューする映像に出会いました。
以前から存じあげていた外尾さんは、ずい分年齢を重ねられていました。
ガウディ没後100年の節目の2026年に
この教会のシンボルとなる”イエスの塔”を最後に、
一応の完成を迎えるという
直前のこのタイミングに現地でインタビューをされたものです。
(サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん「未完のサグラダ・ファミリアSP]より引用)

装飾花の周辺部が白く縁どられるのが特徴な品種。
万華鏡を覗いたような華やかさがある花です。
ふと見ると・・・❤の形に見えませんか?
建築の資料となるものが、ほぼ残っていない中で、
外尾氏は、
どう理解していいかわからない奈落の廃墟に入ったような感覚を覚えられたそうです。
何かを得ようとガウディを一生懸命に見ようとすればするほど、
ガウディはどんどん遠のいていくばかり。
地獄のように真っ暗闇の中、資料もなく誰も助けてくれる人はいませんでした。
ある時、ガウディは自分の方を向いていないことに気づかれたそうです。
じゃあどこを見ているんだろう?
そっちを見てみようと思った時に何か少し扉が開いたような気がして
少し開いた扉の薄い光の方へ歩いていくと今の所までくることができたそうです。
希望は必ずある。
ガウディを分かるというよりも、
全く違う方向に向くと、
ガウディが見ている方向がこっちじゃないと分かった瞬間に
ものすごく仕事が楽になったそうです。
「ガウディと同じ気持ちで物事を捉える」
いよいよ来年完成を迎える予定だということですが・・・
「完成という言葉を少し考えた方がいい。」
ということもインタビューの中で言われています。
建築は完成するもの。という概念が私たちにあります。
完成したものが全てだと思っています。
でも外尾さん達の中には、「完成はしない」という思いがあって、
常により良いものができるというのは完成ではなく、
「本当の完成品はこの世にはない。」ということであり、
完成してもその瞬間から、より良いものになろうとしている。
だから、人間の作るものにはそもそも完成はないと考えられるそうです。
これは建築では伝えるのは難しいことだと前置きされながら、
「完成はしない」ということは、
「至らない」というメッセージだと言われます。
「神様に人は至らない」という謙虚なメッセージは、
完成しないことで神への謙虚さを表現したのが、
サグラダファミリア教会なのではないかと。
ガウディは、神の言う完成に向かって作り続ける人の営みがあって、
それを見届ける人達がいて
人々の繋がりが生まれる場所にしたかった。
建物の建設が終わっても、訪れる人やリスペクトをもってそれを修復する人がいて、
その人たちの想いが引き継がれていく以上そこに終わりはなく、
完成=終わりではなく、
未完のリレーを繋いでいければいいと思うと締めくくられました。
今回のインタビューは、
ピアノを弾いたり、編曲や作曲をする
私自身にもつながる感覚的なものを感じました。
芸術と言われる分野だけに及ばず、
「ガウディと同じ気持ちで物事を捉える」
のガウディの部分の言葉を入れ替えるだけで、
普段の日常生活の中で、自分や相手を知ることや
職場や友人、家族の中で感じる方向性の一致とも
結びつくことだなぁと思います。
仕事の中で行き詰ることもあります。
今ある方法ではできない時に、
それを実現させる方法を常識にとらわれずに目指す目標を見失わずに追及し、
作り方や手法そのものを模索していくことの大切さは、
誰かの真似をすることではなく、
自分自身が見つけていく、発見していくものなんだと思いました。
日頃、曲を作ったり、編曲をしていると
今弾いている時と次に弾く時とは全く違ってきたり、
こっちの方がいいなとかもっとこうしたいなとか想いながら弾くうちに
どんどん変化してなかなか完成できないこともあります。
「本当の完成品はこの世にはない。」
この言葉が、外尾氏が一番伝えたかった言葉なのではないかと思いました。
次元の違うお話なんですが、
凡人の私でさえそう思うことがあるのならば、
天才にはそれが普通なのではないかと思います。
次元やステージが違っても、物事の真理や摂理は同じ形を成しているのではないかと
甚だ飛躍しすぎかもしれませんが、似たような感覚を感じました。
色々調べてきて最後に思うのは、
サグラダファミリア教会をこの目で実際見てみたい!感じてみたい!と思いました。
ガウディの想い、携わってきた人々の想い、見守ってきた人々の想いを
肌で感じてみたいと思いました。
ということで、行きたいところリストの中に追加する場所が、
ひとつ増えました!
少し遠い場所ですが、実現できる未来を描いていくのも
大事だなぁと思っています。

別名アジサイポップコーン。
「オタフクアジサイ」とも言われる品種
花弁がくるりと丸くなって可愛いです。

