最近は、ウォーキングに出かけた先で、
コーヒーを飲みながら20分くらい持って行った文庫本を読むのが、
習慣になってきました。
ほぼ毎日出かけるので、コンスタントに読み進むようになって、
ただの自己満足だった積読状態の本たちも、
日の目を見ることができるようになってきています。
「たゆたえども沈まず」というタイトルの原田マハさんの小説を
読みました。
”FLUCTUAT NEC MERGITUR”というラテン語に由来する
タイトルと表紙を飾るゴッホの『星月夜』の絵に惹かれて、
積読の仲間入りをした本でした。
「たゆたえども沈まず」という言葉を見て、
色々な流れ方はあるけれども、何があっても沈まない
というイメージをもっていました。
作中で、登場人物がこの言葉について
語る場面があります。
この小説の大部分の舞台は、フランスのパリ。
昔からパリの中心部を流れるセーヌ川が、幾度も氾濫し
街とそこに住む人々を苦しめてきました。
その都度、人々は力を合わせて街を再建してきた歴史があります。
その歴史の流れの中で、
パリは、いかなる苦境に追い込まれようとたゆたいこそすれ、
決して沈まない。それがパリなのだと。
気になって検索すると、
16世紀から伝わる、パリ市の紋章に記されたモットーに
由来する言葉で、
荒波や嵐に木の葉のように揺れ動き、翻弄されながらも、
決して沈むことはないという意味だそうです。
こんな話を聞くと、重みのある言葉だな…
と思います。
ふとピアノでも同じ感覚になることがあるなと感じたので、
今日はそのことについて、シェアしてみようと思います。
川の流れを眺めていると、
大きな岩やゴロゴロとした石があって
流れが緩やかになったり、急になったり。
澱んで渦を巻いているところもあれば、
穏やかに流れるところもあります。
晴れの日と雨の日でも、
水かさが増せば流れの表情は全く変わります。
一つの川でも、いつも同じように
流れているわけではないのだと気づきます。
川に落ちた葉っぱ一枚の動きを見ていても、
一見穏やかな流れのように見えるのに、
場所によって葉っぱの流れる速さが変わったり、
クルクルと回転しながら流れる様子を見ていると
とてもドラマチックに感じます。
ぼんやりと川辺から様子を眺めていると、
音楽や自分が弾くピアノも同じなんだなと思うのです。
ピアノで弾いていると
流れの中で音の響きの広がりを肌で感じます。
一滴の雫が集まって小川となり、上流から下流へ旅するように流れ、
やがて大河へと姿を変えて、河口を経て大海へと向かいます。
川の水が止まることなく流れ続けるように、
ピアノから奏でられる音も流れを作っていきます。
そこに、音のエネルギーがあると感じています。
だから、もし間違ったとしても止まらないのです。
「たゆたえども止まらず」
そんな演奏も、その人らしい味わいになってくるのではないでしょうか?
誰かと比べたり、
間違えずにうまく弾けることを目指したりすることだけが、
ピアノの愉しみではないと思っています。
きっと曲を通して弾けるようになっていく流れの中で、
いろいろな思いやドラマが生まれているのかもしれません。
そのとき、その瞬間に生まれる音がある。
毎回少しずつ違う自分の演奏を
愉しめるといいなと思うのです。


