前回のブログでは、チャンスはどんな顔をしてやってくるのかについてお話ししました。
やってくるチャンスは、
①チャンスだと見える形、いい顔でやってくる。
②決してチャンスだと思えない形、悪い顔をしてやってくる。
③チャンスとは結びつかない形でやってくる。
概ねこの3パターンでやってくるとお伝えしました。
今日は、チャンスとの出会い方、捉え方についてお話してみようと思います。

太陽の上にできた雲のすき間から放射状の光が漏れ出ている現象
なのですが・・・何かしらの道にも見えるなぁ・・・と思います。
みなさんは、これまでチャンスをどう捉えていましたか?
私も例にもれず①の『チャンスは良い形でやってくる』と思っていました。
だから以前の私は、なかなか良い形でやってくるチャンスが自分には訪れない。なんて自分は運が悪いんだ!と思っていました。
こんな私にある事件が起こりました。
・・・通勤途中の突然の事故。全治3か月の足の骨折により、仕事に行ったり家族の世話をすることはもとより、歩いてトイレに行くことすら困難な体になり、一日のほとんどをベッドに横になって過ごす生活が始まりました。
そう。最悪な状況が訪れました!
なかなか骨折した部分がつながらずギブスでの生活が、1か月2か月と延びていきました。もっと以前にも長期の傷病休暇を取ったことがありました。その時は、復帰を見据えて自分を奮い立たせていたのですが、今回は違いました。「もう限界だ。退職しよう。」こう思ったのは、これが初めてでした。何とか3か月で骨がつながりましたが、3か月も足を固定すると常に足は痺れた状態で感覚はなく、自分の足なのに思うように動かせなくなっており、酷い骨粗鬆症にもなっていて新たな骨折の危険がありました。松葉杖なしでは歩けないし、必死に松葉杖をついて歩いてもそのスピードは健康な人の半分以下でした。仕事に復帰して、いてくれるだけでもいい!と言ってもらいましたが、仕事のクオリティーが下がって同僚に迷惑をかけ続けることが苦しくなりました。
私のこれまでの人生の中で、最も最悪な状況でした。
この骨折したことを境に、私の生き方は180度変わりました。
心理学を学び始めて数年が経っていました。内側の自分と向き合うことの大切さを学んでいたので、ありあまる時間を使って何を本当の自分が望んでいるのか、何を未来に描いているのかを様々な面からとことん内側の自分と対話をしました。
骨折した出来事は、私にとっては安定した生活を奪ってしまうことでした。まさに最悪な状況です。
肉体的にも精神的にもとても苦しく、決して良い形で訪れたチャンスではありませんでした。
でも私はこの悪い顔をしてやってきたチャンスを不貞腐れたり諦めて投げやりにしたりはできませんでした。
むしろターニングポイント(転機)だと思い、変えられるだけ変わるチャンスにしようと思いました。
そう思い歩み続けると今までの人生の流れとは全く違う世界が流れてきて、あれよあれよという間に私の周りの世界は大きく変化していきました。今では、最悪だと思ったことが宝に変わったと思えるまでになりました。
実は、チャンスは大きい小さいと大きさに差はあるものの、日常に溢れている出来事だと思っています。それを捉えるのは、その人の物事の捉え方、生きる姿勢だと思うのです。出来事は見方によって良くも悪くも捉えられます。固定した思考の中で捉えるとより狭くなり、より柔軟な思考で捉えるとより広がっていってその出来事が教えてくれている何かにハッと気づく瞬間があると思います。物事は、多面性を持っています。いろんな顔や要素を持っています。それを自由に自分にとってチャンスという佳い出会いになるように捉えることが出来たり気が付くことが出来ると身の回りには、自分にとって良いチャンス=佳い出会いばかりに変化させていけるように感じています。物事は、一つにしか捉えられないように見えつつも実際は色々な側面を持っています。そして、必ずその時の自分にとって何かしらの学びをもたらしてくれます。それに対して、自分がどう向き合い出会っていくかによって、人生の豊かさは大きく変化していくと思うのです。そう、何でもないことも最悪なこともチャンスに変えられるんです!
ついには私は、”運が悪い!私なんて・・・”と思っていた考えが、何時しか能天気に”自分は運がいい!”と思えるように変わってしまいました。悪い顔をしていたチャンスが、大きな宝になったからです。
長々と私の話にお付き合いくださりありがとうございました。
もし、自分は運が悪い!良いチャンスに出会えない!と思っておられる方がいるならば、その方の僅かながらでも歩む道の心の灯となれば幸いです。
みなさんの周りに佳いチャンス=出会いが溢れてきますように心よりお祈りしております🍀

飛行機が大空に飛び立っていく姿は、何かの始まりようにも見えるし、
虹に出会えると何か佳い訪れがあるような気持ちになります。