練習ができなかった日々。
それで、その歩みは
本当に止まってしまうのでしょうか。
レッスンの日が近づいているのに、
ピアノに向かえず練習できなかった日々も
時にはあるのではないでしょうか。
急な仕事が入って残業続きだった。
家族が病気になって、看病していた。
急な家族の用事が入った。
などなど・・・
思うに任せないことは、
どなたにも起こるものではないでしょうか。
そんなとき、
少しだけ足取りが重くなることはありませんか。
「今週は、ほとんど練習できませんでした。」
そうおっしゃる声には、
ほんの少し、申し訳なさが混じることがあります。
お話を伺うと、
「大変でしたね。」
「よく頑張られましたね。」
大人の方それぞれに、違った生活の背景をお持ちになっています。
私は、その方の日々を労いたい気持ちになります。
練習できない時、
大人の方が無意識にやっている大きなことがあります。
「練習したいなぁ・・・」と思ったり、
弾く曲のことを思い出して
無意識に曲のイメージをしていたり、
ちょっと思い出しながら頭の中で曲が鳴ったり、
原曲をスマホで聴いてみたり、
何かしらピアノのことや
弾いている曲を頭に思い浮かべていることです。
それは、細く、弱い糸のようなものかもしれません。
けれど確かに、つながって続いているのです。
レッスンで、
そっと一音を弾き始めると、
その一音は、静かにつながり始めます。
その方の中で膨らんできた音の小さな灯が、
少しずつ広がっていきます。
反対に指は、
思ったようには動いてくれなかったりもしますが、
ゼロからの出発ではありませんから、
徐々に馴染んでいきます。
少しずつ少しずつ感覚が戻ってくるのを感じながら、
自分が膨らませてきた
音の灯が示す世界へと入って行かれます。
こんなレッスンの日もあります。
できなかった日々も含めて、
その方の歩みは、ちゃんと続いています。
そう思うと、
少しだけ、足取りが軽くなりませんか。


